コンテンツ制作者の責任、幸せを広げるためには、どう関わっていくべきか。

  • 更新 | 2019.10.21 公開
コンテンツ制作者の責任

コンテンツSEOやコンテンツマーケティングを行う場合の、コンテンツ制作者の責任を考えてみたいと思います。

「責任」と大きく風呂敷を広げてみましたが、コンテンツ=情報には、人を大きく動かす力があります。

もし、力の使い方を間違えて、不幸な人が出てくるのであれば、それはコンテンツ制作者側の責任として何とかしないといけないところ。

表現の自由?コンテンツにおいて、正しい・正しくないという話は、正直難しいとは思いますが、力を持つ側として、考えておきたいことを書いてみたいと思います。

私の完全な主観なので、その点をご了承頂いたうえで、見てもらえると嬉しいです。

コンテンツ=力

コンテンツ(情報)には大きな力が宿っています。

  • 口コミを見て購入を決めた
  • 権威ある人が言ってて安心できるから入会した
  • 流行だと書いてあったので始めた

まだまだ他にもありますが、コンテンツによって、たくさんの人の行動を引き起こされています。

コンテンツには、人を動かす大きな力が宿っている証拠。

もし、力がある事が分かっていながら、間違った使い方をした場合はどうでしょうか。

人々を間違った方向へと進ませてしまうかもしれません。

フェイクニュースなどはその典型的な例で、間違った情報を流し、流入が増えることで広告収入を受け取る。

そこには、コンテンツを読んだユーザーがその後どうなるのか、どういった感情を持つのか、どういった行動を起こすかなど、まったく関与せずどうでもいいと思っている。

コンテンツ制作者側のモラルの欠如があり、自分たちの都合のみで作られたコンテンツ。

フェイクニュースではなくても、コンテンツを見てくれた人を騙してお金の支払いへと誘導させたり、自分たちに利益が入ればいいという考えで、コンテンツを提供している方も、中にはいるかもしれません。

この記事を書こうと思ったキッケカは、力を生み出す側として、コンテンツ制作者には責任があるのではないかと考えたため。

力を持つものにはルールが持たされている

コンテンツには力があると言いましたが、世の中を見渡すと力を持つものにルールがつけられている事がたくさんあります。

車は扱い方を間違えれば凶器にもなるため、信号や速度制限、免許の取得や数年ごとの講習など、力を扱うためのルールが決められています。

これはコンテンツにも同じことが言えるのではないか。

コンテンツの力によって人を動かせる、間違った方向にも正しい方向にも。
コンテンツの力によって人の感情を、不幸にも幸せにもできる。

「コンテンツにもルールが必要だ」と言ってしまうと、なかなか難しいものがあると思いますが、そうだとしても「力」を生み出せる側としては、気を付けなければいけないものがあると思います。

コンテンツを作った、その先のもの。

コンテンツを提供しただけで本当にいいのだろうか。

恐怖を植え付けたり危機感が煽られたコンテンツを見て、行動が促されて、申し込みをして、商品を買った。

恐怖も危機感も、コンテンツを作るうえで大切な感情なので、悪いわけではない。

企業側は利益が入るので当然嬉しい話ではありますが、そこに自社の利益だけが優先されて作られたコンテンツだった場合は、話は別です。

「買ってみたものの、今にして思えば必要なかった…。」
「買ったあとに騙されたと感じてしまった…。」
「買ったけど、結局使わず捨ててしまった…。」

企業側には利益が。
顧客側にはお金の損失と感情の喪失感が。

本来コンテンツは、人々を幸せに導く為のものだと私は思っているので、お客さん側でコンテンツを見てもらった後の行動が、どうしても気になってしまいます。

企業が利益を求めるのは当然。
利益が上がれば上がるほど発展していく。

しかし、その利益の取り方にはモラルが必要だと感じています。

誰かのコンテンツを丸々真似た。
嘘をついた。

これらのコンテンツで悲しんでいる人がいた場合、それは本当にあなたがしたかったことなのか?もし、自分の家族や大切な人が同じ目にあったらどうなのか?

こうなってしまうのも、コンテンツは不特定多数の方に消費される形ではありますが、人を数値としてしか見えていないのではないかと思っています。

UU50万 → 50万という数値データ

ではなく、

UU50万 → 50万のリアルな人達

インターネットを使っていると忘れてしまいますが、私たちが相手にしているのは、何かに怒ったり笑ったり、悲しんだり喜んだり、感情を持つ生きている人達です。

コンテンツを読んでもらった後の行動まで、責任を負えないのは分かっていますが、そうだとしてもコンテンツを消費したあと、良い道へ進んでもらえるよう考えるのが、コンテンツ制作者にとっては必要だと思っています。

言葉選びはその人の本質を表す

コンテンツマーケティングでは、コンテンツを見てくれた方に、次のアクションを起こしてもらうための施策をたくさん取り入れます。

しかし、PV・CVなど数ばかり気にすると、過剰なアピールや、「絶対」など確実ではなかったり根拠がないのに、ただ引き付けるための言葉を選んでしまうこともあります。

これは人のことが言えず、私も気を付けないと、自分の都合ばかりで言葉を選んでしまっている事も…。

別に「お客様は神様だ」的なこと、「コンテンツを見てくれた方は神様だ」と言うつもりはなく、何でもかんでもコンテンツを見てくれる人に寄せるつもりはないですが、そうだとしても見てくれる人に敬意を払って、言葉は選びたいと常々思っています。

不安そうな人には、不安を和らげる言葉を。
幸せそうな人には、幸せを持続できるような言葉を。

言葉選びはその人の本質が表れる。

悪いことを考えていれば、相手を騙そうとする言葉が無意識に選ばれる。
良いことを考えていれば、相手を幸せにしようとする言葉が無意識に選ばれる。

言葉は、自分の中から生まれてくる。それを繋いで文章にしていき、コンテンツへと昇華させる。

言葉には人の想いが宿る、だからこそコンテンツには力があるんだと思います。

そう考えると、世のライターさんSGEEEEEEEEってなります。

中には、ネット上のゴミを増やすなとか言われてしまう場合もありますが、そのコンテンツによって何かしらの行動が引き起こされていれば、やっぱりすごいと思います。

当然のことかもしれないのですが、自分では気づかずにその言葉を選んでいることもあり、あとで見直した際、なんでこんな言葉を選んでいるのかと思った事が何度もあったため、改めて言葉を選ぶことについても考えてみました。

この記事を読んでくれたあなたへ

コンテンツには力がある。
だから責任を持つ必要がある。

というのが私の考えではあります。

今は個人の発言が世の中を動かすことだってあり得る世界です。

だからこそ、力の使い方、姿勢が問われていると、ヒシヒシ感じています。

コンテンツを作るという事は、その人の無意識や思っていることが言葉として生まれ出て、そして世に出ていくことでもあるので、我が子を見守る感じかなと思っています。

我が子がスクスク育つためには、作り手、親として考えるべきことが多いと感じる、今日この頃、すでに言われつくされている事だとは思いますが、自分自身の戒めとしても書きました。

コンテンツの力によって、もっと優しい世界がくればいいなと思っています。

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